子供の頃に友達にわざとくすぐられて笑い転げるようなことをしたことがないでしょうか?
だというのに、自分で触ってもまったくくすぐったくはありません。なぜでしょうか?
今回は雑学として、どうして自分がくすぐってもまったくくすぐったさを感じないのかのなぜ?について解説をしていこうと思います。
本記事が参考になれば幸いです。
自分でくすぐってもなぜくすぐったくないのか?
「こちょこちょこちょ~」
とおふざけで小さな子を相手に親が、あるいは友達同士で指先で小刻みに体を触り、くすぐるという行為。
おそらく誰もが一度は経験したことあるでしょうが、あまりのくすぐったさに自然と笑ってしまいますよね。
その一方で、自分で触ったところでまったくもってくすぐったくないし、あの他人が触れる独特のこそばゆい感覚をかんじることはありません。
仮に道具を使ったとしても、指よりは感じるもののさしてくすぐったいとは思わないでしょう。
まあ、自分で触れてくすぐったければそれはそれで日常生活に支障がでますので当然といえば当然でしょうが、不思議ですよね。
人体構造としてはまだまだ解明されていないことも多いですが、結論からいえば、
「脳が自分で自分に触れる感覚を先んじて予測しているから」
という説が信ぴょう性が高いものとしてあげられています。
くすぐりという行為に対する脳の刺激
さて、それでは『くすぐられる』という行為がどのように脳に刺激がいくのかをまず説明していきましょう。
まず最初に、他人から触れられた指先の感覚は皮膚の受容器を通して感覚神経を通り、脊髄に伝わっていきます。
そこから大脳にある視床(ししょう)という部位にある体性感覚野という領域に入っていきます。
ここまでくると、触れられたという刺激が意識されるようになります。ただし、あくまでここでは触れられたという情報が入るだけです。
それに対しての人間の知覚の統合や判断は一時感覚野というところでおこなわれるようになっています。
しかし、これなら他人の指先と自分の指先、どちらが触れたとしてもくすぐったくなるはずですよね。
ここで先に結論としてお伝えした、脳が自分で自分に触れる感覚を先んじて予測しているからという話になるわけです。
運動前野から命令は筋肉に『自分をくすぐれ!』という命令をくだすと同時に運動の中枢の一つである小脳にも送られ、小脳はその命令に対しての結果を先に予想し、予想通りの刺激がきたら無視するということではないかと考えられているのです。
まだまだ研究が進めばもっと違った回答がでてくるのかもしれませんが、自分で自分の指先を掴んでも何とも感じないのに、他人とちょっと指先が触れるだけで違和感のようなものを感じるのはこういった人体の仕組みからである可能性が高いと考えられます。
この関係、バスの運転手と乗客の関係をみてみれば、バスの運転手はなかなか乗り物酔いになりにくいですが、乗客は一定数が乗り物に酔うことがおきるということに似ているかと思います。
運転手は自分で運転しているので次の動作の予想がつきやすいので、小脳からの無視しろという命令がでている為に酔いにくいですが、乗客はそうはいかず酔ってしまうというわけです。
なお、実験から体性感覚野の興奮状態を調べたところ、他人からくすぐられたときは活動レベルがあがるものの、自分で同じようにくすぐったとしても大して活動レベルの上昇はみられなかったことから、信ぴょう性のある説ではないかと思われます。
まとめ
さて、自分と他人のくすぐったときになぜくすぐったくないの?ということでまとめさせていただきました。
自分で意識的にやったことって、他人に何かをされるよりもどこか鈍い感覚になりますよね。
これは自分の頭そのものが自分の行動に対する結果として予想しているからこそなのかと思います。もし自分の知らないところで指先にハケなどをつけられていたら予想外の刺激となり、ひょっとしたらくすぐったいと感じるかもしれません。
……そういうことを考えたり、予想している時点でもはや予想外ではなくなってしまいますけどね。
このあたり、わずかな疑問を持っていたという人もいるのではないでしょうか?
本記事が参考になれば幸いです。