ニュースを眺めていると、よく国会中継が出てきますよね。我々国民にとっては日本の未来を決める大事な議論をする場です。
国民に選出されたのだからさぞ有能かと思いきや、口だけ上手で反日をする無能な議員も多かったり、国会という場で寝ていたりと何かと問題をあげたらキリがありませんが、ふと疑問を抱いたことがありませんか?
小学生じゃあるまいし、なんで国会議員を「くん」と呼ぶののだろう、と。
その理由については結構昔にさかのぼらなければなりませんが、本記事ではそんな素朴な疑問を解決する為、解説していきたいと思います。
本記事が参考になれば幸いです。
何で国会議員を呼ぶときに「くん」で呼ぶの?
さて、改めて国会中継を見ていて多くの人が一度は、
「どうしていい大人が『くん』で呼ぶのだろう」
と疑問に思ったことがあることでしょう。
そもそも、〇〇くんなんて呼ぶのはせいぜい小学生くらいまで。中学生以降はあだ名や呼び捨てなど、あまり『くん』とは使わずに呼ぶことが増えます。むしろ、あだ名感覚で『くん』と付けられている方が多いかと思います。
そして社会人になれば『さん』が一般常識で当たり前ですよね。
なのに、国民から選挙で選出された国会議員は『くん』となり……ちょっと違和感を覚えます。
しかし、この『くん』と呼ぶことについてですが、国会でちゃんと規約として決まっているのです。
だから、議長が発言者をさすときに『くん』と付けるのは守るべきルールなのです。
どうしてそうなった?国会議員を「くん」付けで呼ぶには理由があった!
さて、では何でこんな規約ができたのでしょうか?
時代はいまの日本の政治体制ができた頃、幕末にさかのぼります。
そしてこの習慣を作ったのが、おそらく歴史で習ってその名前を記憶している人が多いでしょう。
松陰神社には吉田松陰先生の銅像があるのね。申し訳ないくらい目立ってなかった。 pic.twitter.com/0oL4CPihNZ
— みぽこ (@8mikan9) February 23, 2021
そう、吉田松陰(よしだしょういん)なのです。
まあ、歴史の教科書ではサラッと出てくるので詳しく何をやったということを覚えている人は少ないかもしれませんね。
簡単にまとめると、日本を大きく変えた明治維新に関わった大人物何人ものの先生であり、塾名を『松下村塾』といいます。
この塾はやる気があれば身分なんて関係なく誰でも学べるという、現代日本の教育に繋がることをしていました。
彼の教えがあったからこそ、明治維新がなしえたのかもしれません。
さて、身分が関係ないということは位の高い武士や、下級武士、農民までもが吉田松陰の教えを受けにやってきていました。
つまり、自然と身分の差による上下関係ができてしまう構図となってしまいます。たとえば農民が上級武士に違う意見を言うなんてこと、普通に考えてできないですよね。
そして吉田松陰はその身分の壁を少しでもなくし、下の者でも上に意見を言いやすくできるよう『くん』付けで呼ぶ約束事を作ったのでした。
ですが、残念ながら吉田松陰自身は明治維新の13年前の1859年に29歳という若さで亡くなっています。
だから直接的に現在の国会に何らかの影響を与えた人物ではありません。
……が、塾をやっていたということは塾生がいたわけで、そのうちのひとりが、
正解は伊藤博文でした!
伊藤の前にいるのは木戸孝允です! https://t.co/f2lmcZBCYk pic.twitter.com/DHSQJ6QzkQ— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) January 15, 2021
初代内閣総理大臣の伊藤博文(いとうひろふみ)なのです。
つまり、身分制度をなくし国会にもそれを持ち込まないという想いからでしょう。
吉田松陰の松下村塾の志を引き継いで、国会にこの『くん』付けの約束を持ち込んで規約としたのです。
国会議員が『くん』と呼ばれることにはちゃんと、上下関係などないという強い意味があったのですね。
まとめ
さて、国会で『くん』付けで呼ばれる理由についてまとめてみました。
社会人になると普段の生活でなかなかくん付けで呼ぶことをすることも聞くことも少なく中継を見ていて違和感を覚えますよね。
意義は失われてしまっているかもしれませんが、ちゃんと意味があり作られた規約であることは間違いありません。
本記事が何らかの参考になるのでしたら幸いです。