今回はかなり地味な雑学となりますが、元の木阿弥(もとのもくあみ)という言葉があるかと思います。
普段なにげなく使っていることわざですが、よくよく考えるとおかしな言葉のようにも思えてきますよね。
今回は、そんな『元の木阿弥』という言葉の意味と由来について話をしていこうと思います。
本記事が参考になれば幸いです。
元の木阿弥の意味と由来とは?
普段、どこで聞いたかわからないながらもいつの間にか覚えていて、使っている日本語というのは色々とあると思います。
以前に『冷やかし』という言葉の由来について本ブログにてまとめてきました。
お店にきたお客さんが色々と質問してくるから、一生懸命に説明をして結局最初から買うつもりがないと悟るとただの迷惑客としか思えなくなります。こういった人を『冷やかし客』といいますが、はたしてこの『冷やかし』ってそもそもなんでしょうか?[…]
こういった何気なく使っている単語ですが、大抵はよくよく考えるとどういう意味とか由来なんだろうとか考えることがあるかと思います。
大抵は歴史上で何らかの意味をもつ事態が元になっていることがほとんどで、今回ご紹介する『元の木阿弥(もとのもくあみ)』という言葉もそのひとつです。
さて、この言葉ですが一般的には
『一度良くなってから転落して元に戻ること』
といった意味で使われますが、何となく軽い表現を使う場合……たとえば、すごろくでせっかく6個コマを進めていたのに、そのマスが「6戻る」といった場合は単純に「元に戻ったな」と言うだけで済みます。
当然、元の木阿弥か……という台詞はなかなかでないでしょう。
その一方で、仕事などでせっかく頑張って昇進したのに、一度のポカをやらされて降格したときなどは「元の木阿弥に戻ってしまった」という表現を使うことがあります。
ですので、基本的にこの言葉を使う際はせっかくのし上がって華やかな未来が訪れたのに、転落してまた惨めな状態に戻るような色んな過程が元に戻ってしまう様を表す時に言われることです。
結構重めの表現と言えばそうですよね。
ですが、この言葉ってまさにその通りのことが歴史上で起きてその人物が題材とされた言葉なのです。
その人物の名前こそ『木阿弥(もくあみ)』という名の人物で、その浮き沈みのある人生を故事にしたものなのです。
時の頃は戦国時代。歴史好きの人や、信長の野望のような歴史ゲームが好きな人は知っているでしょうが、筒井順昭(つついじゅんしょう)という大和の国(奈良県あたり)の武将が不治の病に倒れたのがことの始まりでした。
後継ぎである息子の筒井順慶(つついじゅんけい)はまだ二歳で政治も何もできません。まあ、できたら凄いですよね。
そんな国の柱となり支える立場である大名である順昭がここでいなくなり、それが世に知れ渡れば当たり前ですが、そんな上がいなくなってガタガタの状態の国を攻め滅ぼすのは簡単なことなわけです。
なので、順昭は遺言として
「自分は死しても誰か、似た人物を影武者とするべし」
と遺したのです。
そこで白羽の矢があたったのは「木阿弥」という人物でした。
彼は特別立場のある人間ではなく、市井に住んでいた盲人の僧で声がそっくりであったとされます。
ともすれば、薄暗い病床に臥せっているように見せ、声だけで命令をすれば誰にとっても本物と疑われず筒井順昭は生存していると思わせられるわけです。
ということで、木阿弥という人物は仮にとはいえ突然ながらに庶民から大名の暮らしを手に入れた影武者になったのです。
よほど当時にとっては贅沢な暮らしができたことでしょう。
が、筒井順慶が成長するともはや影武者としての意味を失います。
順慶を中心として体制を築いた筒井家はついに、木阿弥をお払い箱として元の市井の僧に戻したのでした。
一時的なものと約束をされていたとはいえ、まさに一度上がったものが急転直下で最初の頃に戻って落ちぶれてしまったものです。
まあ、声が似ていて混乱を招くと役目終了後にひっそりと闇討ちされなかっただけマシなのかもしれませんね。
とにかく、こういったことから『元の木阿弥』というっ故事が生まれたとされているのです。
まとめ
さて、元の木阿弥と言う意味と由来ということでまとめさせていただきました。
一般的に落ちぶれて元の状態に戻ってしまうことを元の木阿弥といいますが、人物名と歴史的なことが合わさってつくられたわけですね。
このように、日本語の故事やことわざ、単語などは意外とその発祥をみると面白いものですので調べると面白いことがよくあります。
本記事が参考になれば幸いです。