「~それくらいやってあげればいいのに」「~した方がいいんじゃない?」と世の中簡単に言うだけの人が大勢います。
本当にそういう人って無責任に言っているだけの「言うだけ番長」ですよね。
今回は、そういった人について一つの意見として、どのような性格の人物なのか考察を述べていきたいと思います。
読み物としてお楽しみください。
本記事が参考になれば幸いです。
無責任な言うだけ番長
さて、人が言葉を発するということは自動的にその言葉の『責任』が付きまといます。
一度発した言葉というものは、なかったことにはなかなかできないものです。
しかし、悲しいかな日本の代表である政治家ですらその言葉になかなか責任をもたず、無責任が横行しています。
まさに、「言うは易く行うは難し」というもので完全な言うだけ番長です。
ひとつ例をあげてみましょう。
【ある新幹線の指定席で…】
ある日、まだ社会人になりたての女性が出張帰りでくたくたになりながら事前に取っておいた指定席に乗り込みました。
時期は年末、ちょうど帰省ラッシュで重なり自由席はパンパンで通路でも客が立ちながらごった返している状況です。
ああ、先に指定席とっておいてよかった。
ようやく帰れる、そう思った時に小さな事件がおこります。
「あの」
と話しかけられてそちらを向いていると少し年上くらいの若いママさん。腕には抱っこ紐で子供を抱えています。
「すみませんが、子供もいるんで席を譲っていただけませんか?」
時期が時期なので指定席がとれなかったのだろう。物腰は丁寧なお願いではあるが、早めに切符を取らなかった自業自得である。
いくら子供がいるからって譲る義理もなければ、仮に譲ったとしても自由席も空いていなければ後発では当たり前だが通路に立つにしてもろくな場所はないのは明白。
ましてや、出張で疲れているというのにわざわざ前々から買った指定席をなんのメリットもなく譲ろうとは思わない。
女性が断ろうとしたその瞬間、
「いいじゃない。相手はお子さんもいるし譲ってあげても」
ちょうど後ろの席に座った中年の女性がそんなことを言い放った。どうやら会話を聴いて口を出してきたらしい。
すると女性は、
「すみません。私も疲れていますし、指定席をお譲りはできませんが、後ろの人がああ言っているので譲ってくれるんじゃないでしょうか?」
そういって、軽く頭をさげます。
若いママも断られて仕方ないとばかりに頭をさげ、後ろの席の中年女性に向きなおろうとすると……。
「ああ、ごめんなさいね。わたし膝弱くて」
なんと、何も言う前に断ったのでした!!
とまあ、以前に同期だった人に聞いた話ですがそんなことがあったそうです。
ちなみに新幹線の席を譲ってというのは、
https://twitter.com/monemanene/status/1211613731068579840
このようにちょっとSNSで見ればいくらでもでてきますので、話しかけやすそうな人、優しそうな人はターゲットにされやすいかと思います。
しかし、問題は中年女性の方ですね。
自分で「譲ってあげたら?」と言いながら、自分に向いてきたら先回りして断るというミラクルを見せてくれました。
まさに無責任な言うだけ番長のいい実例でしょう。
なぜ言うだけの人が多いのか?
誰しも何度も会うことになって不快な思いを経験するであろう、こういった他人には都合よく偉そうに言いながら、いざ自分にお鉢が向いてくるとやらない人。
会社の上司などでこういったタイプは嫌われる傾向にあるのではないでしょうか?
たとえば……というか、実際にあった話ですが、立場関係なく毎週ローテーションしている面倒な係があるとして、たまたま祝日の関係でその週が二日になったとき。そこに当たった人はラッキーですよね。
なのに、
「二日しかないのだから、翌週もお前が係をやれ」
と上司は言い放ってきます。当事者からしたらむしろ、延びてるので当たり前ですが嫌ですよね。
その係は少し早く出社しなければいけないし、労力がかかって嫌だから誰だって少しでも順番が回ってきて欲しくありません。だから上司に同調します。
つまり、デメリットがあるのは本来いい日付の並びにあった人だけで、なぜか嫌がると責められるという構図です。
ちなみに、その後でもう一回日付の並びのいい日があり、その上司がたまたま当たったのですが、当然のように翌週は他の人に順番を回し、同調していた人達もそういう日取りに当たったら逃げようとします。
こういう自分にだけ都合がいいようにする人、とても多いですよね。
他にも、他人には常識やルールを押し付けておいて自分はそれを守らない人もいます。
さて、そういった人はどのような思考回路をしているのでしょうか?
おそらくは、
「デメリットのない第三者の立場からいい人をしたいだけ」
ということが行動に出てしまっているだけではないかと思います。要はただのズルイ人達です。
- 人を食べるクマが処理されるのは可哀想
- 俺(私)だったらこうするね
といった感じのことを言う人がよくいます。これは当事者ではないから言えるわけで、クマに関しては愛護精神があるように聴こえますが、仮に家族や大事な人がクマにやられて同じことが言えるでしょうか?
後者もよく聴くセリフですが、大抵が結果を知った後に言っているだけなので当事者になってそんな冷静な行動ができるかというと怪しいです。
某巨大掲示板のように匿名性のあるものであれば冗談の一つともとれるし、ある意味仮想空間での話なのでいいかもしれませんが、現実世界では言葉には責任を伴います。
だからこそ、それがわかっている人は最初から口に出さずに第三者を決め込むのです。責任感のある人ならば、口を出した上に具体的な解決まで面倒をみるでしょう。こういう人は信用したい人物ですね。
一方で、口だけの人は本当にただ口を出します。
そして、多くが否定的な意見やデメリットとなるようなものが多いのです。
しかもほとんどが代案もなく否定だけをするという厄介さがあり、信用されず嫌われていく傾向にあります。
それはそうでしょうとも。当人からしたら代案を出したら当事者にされてしまいますし、否定的な意見をして誰かにデメリットを押し付ければ自分に被害もなく参加したつもりになれます。
だから、
『無責任に自分を誇示したい人』
という性質をもった人がそれにあたるのではないでしょうか。率直に言えば、ただ責任を持ちたくないズルイ人です。
言うだけなら誰でもですし、政治家などはテレビを視ていればそんな人ばかりですので、責任を取りたくないなら最初から黙っていて余計なことを言わないで欲しいものですね。
ちなみにそういう人への対策は、あえてその人に意見を求めたり代案や対応を求めたりすることです。無責任に言うのなら、無責任になれない当事者にしてしまえばいいのではないかと思います。
まとめ
さて、言うだけ人間についてどんな人か考察してみました。
本当に世の中、口だけ出そうとする人間が多いのです。大抵が正論を言っているように聴こえるので言うことに間違いはないでしょうが、人間である以上は感情がありそんな正論通りに行動したくない人だっています。
そうやって正論を振りかざすなら、口だけではなく自分が行動して問題の解決をして欲しいものですね。
本記事が参考になれば幸いです。